昨日は、今年で3度目となるカジカ釣りの大先輩こと高橋名人とその息子さんの若先輩を講師に招いてのカジカ釣りでした。
「たくさん釣るぞー!」と意気揚々と集まった子どもたちだったのですが、どうやらどんな魚なのか知らない様子。これは面白いぞ!と詳しい事は伝えずに装備の仕方、釣り方(箱メガネで水中を覗いて石と石の間の小さな隙間を見つけること、そこに「いくら」を付けた針を入れ込むこと)を伝えてスタートしました。
最初は小さな隙間が分からず四苦八苦。とにかく数打ち当たって、どんな穴に身を潜めているのか感覚を掴むことが重要になってきます。
最初の1匹目を釣り上げたのは、やっぱり大先輩でした。
みんなの目が一点に集中すると同時に、驚きの表情が。それもそのはず。
だって、いわゆる普通の魚の形では無いのですから!
カジカが釣れた、そしてどんな魚かわかった所で「よーし!次は自分だ!」と、みんなの闘争心に火が着き、あちこちでポツポツと釣れ始めました。
見慣れない姿形をじーっと観察をする子、釣ったものの「どうやって針を取ったらいいの?」とカジカに触れずアタフタする子。
そして、なかなかコツを掴めずにいる子にはスタッフが順に「ここだ!」という穴を教え、焦らずに待ち、確実に釣れるようにしていきます。
そして、念願の一匹!!
さっきまでの「への字」だった顔が一気に明るくなり、「よし!2匹目も!」と自ら穴探しを始めるのでした。
しかし、ある程度の時間が経つと、やはり要領が分かってテンポ良く釣れる子と、そうでない子と分かれてきます。周りが釣れているのに、自分が釣れないと面白くなく飽きてくるもの。そんな最中、子どもたちにも色んな変化が…。
「この穴絶対いるから、ここやってごらん!」と場所を譲る子が現れ始めたのです。
これはさっきまで私たちスタッフが、なかなか釣れない子達に言っていた言葉。
私たち大人は「釣りの楽しさを少しでも多く味わってもらえたら!」としていた行動を、まさか子どもたちがするだなんて!
私が小学生の頃、そんなことできていただろうか?
一緒に同じ目的を持って遊び、悔しさや喜びなどを共感する中で生まれる仲間意識。
そして「自分だけ」でなく、分け合うことで得る喜びを共有しあう子どもたち。
教えた穴から釣れた魚が思いの外大きくて「やっぱり教えなければよかったな〜」と笑い飛ばす男の子。でもそれは、決して後悔の顔ではありませんでした。
釣ったものの網に穴が開いて大切な1匹を逃してしまった子もいましたが、釣った魚はみんなで分け合って、ひとまずは一人1匹のカジカの唐揚げをいただくことができました。(その他は、釣った子どもの意思で持ち帰り、育てたり夕食でいただいたりするようです)
さっきまで命のあった魚を食すことに抵抗を感じ、「食べない」と言っていた子どもも、他の子が「美味しい!」と目を丸くしていただいてるのを見て、思い切って挑戦。
すると、「美味しい!」と、これまた目を丸くしてびっくり!
命あるものをいただくということなかなか感じにくい日常ではありますが、きっと何かしら感じるものがあったのではないでしょうか?
自然の中で遊びを通じ、仲間を通じ、いろんなことを感じ大きく成長していく子どもたち。
キラキラと輝く表情に頼もしさを感じるのでした。